みちのく米沢は織物のふる里。
米沢藩主・上杉鷹山公によって絹織物は始められた。
武士の家新田家も五代続く機屋である。
門に入ると・機の音がどこからともなく響き、長い歴史の重みを感じさせる。
創業1884年
袴地製造
1921年
大勢の大工職人による新田家の基礎工事風景(どんつき)
1935年
手織り機に加え力織機を導入
かさね染めの縫い合わせ訪問着
1926年
当時の家族写真
1963年
紅花に思いを馳せる
心を込めて織り上げる
米沢新田家初代が上杉景勝公と共に越後から転封となり米沢に移り住み、十六代目新田留次郎が機屋初代として明治17年に新田を創業。
品評会にて数々の賞を授けられ、米沢袴地といえば新田とまで言われるようになった。二代目熊雄は、絽袴などの新製品を開拓して行った。三代目秀次・富子と紅花の宿命的な出会いは、昭和38年に始まる。以来、幻の花と言われた紅花にとり憑かれ、ひたすら自ら納得のいく色を出すために染め続けていたのである。四代目英行は、作品づくりにこだわりを持ち、染・織 一貫生産化を進めた。
冬の米沢。紅花染めは、寒さの最も厳しい真冬に染める色が、美しいという。新田家のたゆまざる研究と努力から生まれた織物は、たとえようのない重ね染めによる百色の色相をただよわせる。現在五代目源太郎もその精神を受け継ぎ、ものづくりに励んでいる。